身をかへて独り帰れる故郷に
きこしに似たる松風そ吹く
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野々村仁清
江戸時代初期の慶安(1648〜1652)から延宝(1673〜1681)のころに活躍した陶工。 通称は清右衛門。丹波国北桑田野々村の出身で,京都の粟田口や美濃の瀬戸で製陶を学んだ。その後京都の 御室(おむろ)にあった仁和寺の門跡(もんぜき)の知遇を得,仁和寺前に窯を築いた。 仁清の号は仁和寺の“仁”と清右衛門の“清”をとって門跡から与えられたもの、という説がある。 狩野派や土佐派の画風・漆器の蒔絵などを取り入れ,金銀を使った優美華麗な日本的意匠の絵付は, とりわけ仁清作品の特徴を成し,のちに「京焼」として受け継がれた。 また法螺貝(ほらがい)・雉子(きじ)・宝船などをかたどった置物や香炉には,優れたろくろ技術が示されている。 現存する主要作品には,『色絵藤花文茶壺』『色絵雉子香炉』『色絵梅月文茶壺』『色絵桜花文茶壺』などがある。
ところが、仁清の色絵陶器は大正時代までその存在が知られておらず、昭和の初めまでその生涯は謎に包まれていた。 そこで、著者はまず、仁清が世に出ていった跡をたどり、次に仁清が創作していたころを描いてみせる。 仁清の作品が世に出るようになったのは、所蔵していた旧大名らが度重なる金融恐慌で手放したからである。 では、なぜ大名らは仁清を愛好したのか? ここに、金森宗和なる人物がカギを握る。この人は茶人で公武の社会に交わったが、仁清を指導して優雅な色彩に特徴のある茶陶器をつくらせた。清貧に甘んじた茶人、千宗旦との対比で「乞食宗旦、姫 宗和」と称された。そして、徳川家とも縁戚関係があった。 仁清の色絵陶器がいかにすぐれたものだったか、次のエピソードが雄弁に物語る。 加賀藩五代藩主、前田綱紀が仁清の二代目に、徳川綱吉の母、桂昌院に献上する13個の香合を発注し作らせた。 しかし、その作品は綱紀の気に染まず、突っ返されたのだった。これを境に仁清の窯は没落してゆく。 初代仁清の力量がいかに偉大だったかを裏付ける話である。
平成十七年十二月十七日 執筆 K. Saiki
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