「安楽庵策伝について―先行研究を中心に―」
1.安楽庵策伝とは
2.策伝と金森家
3.これからの展望と課題
4.引用・参考文献
5.註
平成廿年七月三日 執筆 Y. Nakajima.
岡雅彦が述べているように、策伝に関しては「関山和夫、中村幸彦、鈴木棠三諸氏の優れた論考がある」(註2)。そこで本稿では三氏のうち、特に関山、鈴木両氏の先行研究を基に、安楽庵策伝と金森家の関わりについて記すこととしたい。
『安楽庵策伝』を著した関山によると、策伝は、武将茶人として有名であった金森家の、金森定近(土岐可頼)の妾腹の子としてうまれた。立政寺所蔵の「土岐家系図」には、長近の実弟として書かれているという(註4)。その他にも、『浄音寺過去帳』『西方寺過去帳』などに「金森法印長近の実弟であり、出家して千石を領した」という記述があることを根拠に、策伝と金森家の関係を規定している(註5)。
それに対して鈴木は同じ記録について、疑問視する立場を取っている。それぞれの記録の記述が同型で語句が共通していることや文書としての信憑性などから、資料の多さが説得の論拠にはならないとしている(註6)。それ以外にも、策伝が千石取りであることへの疑問や宗和との没交渉、『醒酔笑』での記述などを挙げ、金森家とは無関係であるとしている(註7)。
両氏の意見とももっともと思えるところがあり、両者共に決め手になる論拠に欠けている。そのため、これも含めたいくつかの見解については、いまだ決着を見ていない(註8)。それも踏まえて、この度は私見を控えることとしたい。
また、今回は『茶道大辞典』や『淡交』などの茶道に関する本を参照しなかった。次稿では、それらについても参照する予定である。
思えば策伝と親交があった茶道の友は小堀遠州を始め、松花堂昭乗、伊丹屋宗不、近衛信尋等何れも織部系であり、殊に遠州が織部の門から出て一家を成したことは有名である。策伝と遠州との交友振りや共に生きた時代から推測しても二人は同門の友であった。
関山和夫『安楽庵策伝』、東京:青蛙房、1961年、37頁。
文芸家では歌人の木下長嘯子、俳諧の松永貞徳、茶人で作庭家の小堀遠州などが白眉だが、いずれも策伝からすれば年下の人たちである。(中略)しかし、策伝は、ただ敬老精神に甘えていたばかりでなく、これらの願ってもない才能ある友人たちとの接触を通じて、長嘯からは和歌を、貞徳からは俳諧や古典の知識を、遠州からは茶道や造園を学んだ。
鈴木棠三『安楽庵策伝ノート』、東京:東京堂出版、1973年、8頁。