浮舟


橘の小嶋は色もかわらじを
この浮船ぞゆくへしられぬ



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平成辛卯年霜月末五日(2011.11.25)
 立川談志師匠の訃報に接し、昔の映像を見たりしているうちに談志師匠が何故「家元」を名乗られたのか興味深く思った。私はその辺りの話を聞いたことがないので本当の師匠の意図はわからないが、「上納金」を支払って弟子になり、修行するシステムを、今の茶道等に見られる家元制度に例えて「家元」と名乗ったのではないかと思う。
 そもそも、茶道における家元制度でも、明治以前は現在のような「上納金」が決まった家元制度があったわけではなく、むしろ落語界の師弟制度に近いものだったのだと思う。弟子入りを許された者が修行し、ある一定のレベルに達した者には、その証しとして免状を発行した。師に対する謝礼は当然あったと思うが、月謝や免除料という金銭を納めることにより師弟関係を維持し、免状を発行するというより、むしろ、金銭に関わらず師が認めた者を弟子とし、師が認めた段階で免状を渡すという、よりストイックな形式だったと思う。
 しかし当然、茶家と言っても糧を得る必要があり、茶頭として仕官して俸禄を得、豪商をパトロンとして謝礼を得ていたのだろう。そういう意味では「師が認めた」という中に、金銭的な部分も入って来ることもあるだろう。その金銭的なものの関与は個人によって違ったと思うが、私としては禅家のようなストイックな師弟関係に憧れる部分もある。しかし、いづれにせよ金銭的な部分が関わってくるのであれば、綺麗事を言って曖昧に誤魔化すより、談志師匠のように「金を払わなければ破門」と明快に言い放った方が胸がスッキリする。
 談志師匠は上納金や無茶な要求を弟子に課す一方で、それに対する義務として、師としての責任に真剣に向き合っていた方なのだと思う。
今朝のテレビで、談志師匠が、自分の弟子が後輩の靴を揃えているのを見て「そんなことをしている暇があるなら、後輩に教えられるよう自分の修行をしろ、師匠の俺だけを見ていろ」と叱責したという話を紹介していた。私もよく後輩の靴を揃えるような行為をするので、耳の痛い話だ。そこまで真摯に芸を追求できているのか、自省するところだ。
 一方で、落語とは違い、相手に対する気遣いも茶道を追求する上では重要である。飲み会でお酌をしたり、料理を取り分けるのは後輩の役目だろうが、後輩にそれを言葉で注意するより、自ら見本を見せることも大事だと思う。同じ、料理を取り分けるという事についてもどこまで追求できるか、「料理を取ってもらった」と感謝されるようではまだまだと思う。皆が会話をしている間に、誰が取り分けたのか気付かれないくらい自然に、いつの間にか料理が分けられていた、というのが私の理想だ。こういう気遣いを行えるように追求していくことは、自分にとっての修行でもあり、また、談志師匠がその生き様を弟子に見せていたように、後輩に見せて学ばせるという意味でも意義のある事だと思っている。そんな理由を考えながら、これからも私は後輩の靴を揃え続けようと思っている。
 先日、某大御所のダンサーから、自分がダンスの世界に入る時に先輩ダンサーから「誰にでも挨拶するような安い人間になるな。自分が挨拶する人にだけ挨拶しろ。」と言われたという話を聞いた。誰にでもきちんと挨拶をする、ということは世間では常識だが、敢えてそれをしないことで一般人と違うというプライドを持ち、そのことがスター性、カリスマ性につながっているのかもしれない。後輩の靴を揃えるようなことをしたいと思う一方で、師としては威厳ある存在でなければならないとも思う。技術を教える他に、人間としての魅力を兼ね備えて「俺に惚れて弟子になったんだから、黙って俺についてこい」と言えるような師であるのが理想だ。大学のゼミのM教授が「本当のスターは手の届かない存在だ。今のタレントのように皆が触れよううとするのは本当のスターではない。」と仰っていたのを思い出す。そんな魅力を持った師が今の世の中にどれほど居るだろうか。  真偽はわからないが、一休禅師亡き後、困ったことがあったらこれを開けと言われて遺された遺言状を弟子が開いたところ、「心配するな、何とかなる」と書いてあったという。カリスマであった談志師匠亡き後、立川流の家元制度がどうなっていくのか興味深く思う。
 談志師匠に思いを馳せつつ、心より献杯したい。合掌。
恐惶謹言

平成辛卯年長月初四日(2011.09.04)
 いろいろな茶席を拝見していると、いつも窓の重要性が感じられる。
小さな空間での意匠としての意味合いもさることながら、本来の目的としての採光の工夫が茶事における 茶席の雰囲気を形成する大きな一因となっているように思う。
昼の茶席では、障子を通して入る太陽光のみで照明が成り立っている。然し乍ら、茶席の障子面は直射日光を受けているわけではなく、葉の間から差す木漏れ日や、天空光によるものが多い。
当然、朝、昼、夕方で明るさや、色味も変化し、また、障子の背後にある植物の緑色が映り込んでいたり、下地窓の反射による赤味が差していたりする場合もある。
こういった様々な光のコンディションを照明としても、意匠としても取り入れて茶席の空間が成り立っている。

 一方で、夜の茶席の場合は一転して開口部は意匠としてのみ存在し、照明は和蝋燭や短檠が取って代わる。
照明として蝋燭がほとんど使われなくなった現代では、茶席にも電気照明が設置されることが多くなった。
然し、茶席の空間を演出するのに適した照明というのにはなかなかお目にかかったことがないように感じられる。
では、茶席の空間に最も適した照明とはどのようなものだろう?

 伝統的な茶席の照明状況が最も良いと考えるならば、昼は障子から昼の茶席の太陽光と同じ照度、同じ色の採光を目指せば良いし、夜は蝋燭による照明に近い状況を目指せばよいと考えられる。
また一方で、日光と蝋燭、短檠くらいしか照明がなかった昔と違い、技術の発展により様々な照明方法が開発されている現代では、伝統的な照明以上に茶席の雰囲気の演出に相応しい照明があるのではないか。また、昼の茶席でも採光と障子の意匠を分けて提示できるのではないか、という可能性も考えられる。

 茶室という空間は、茶事で使うことに極めて限定して演出する空間である。この茶席の照明を考える上で、一言で「良い茶席の雰囲気」と言っても、様々な次元が混在している。大きなポイントとしては、「空間の雰囲気」「床の間(掛軸)の見え方」「茶碗や道具の見え方」「人や点前の見え方」が挙げられる。
この中で、床の間については、落し掛けの内側に別途照明を設置する等、別の照明システムを組むことが考えられる。これも多少は影響するが、その他の次元については、より同一の照明システムとして成立させることを考えなければならない。

 実際の茶席の照明を考えてみる。現代の茶席で最も一般的な照明がペンダント照明と思われる。大きな和紙張りのペンダントによる照明は、均一な採光が取れ、しかも大きな球面での拡散光となるため、クッキリした影ができにくい。一方で、大きいとは言え光源が一か所なので、反対面は影になってしまい、手暗がりになり易い。また、均一な光故に、殊に広間では壁や部屋全体が平坦な雰囲気になってしまう。伝統的な茶席では、日光も障子面から横から差して徐々に輝度が減衰しているし、また、蝋燭灯りでも方向は違うが輝度の減衰については似ていると言えるが、壁面や畳に横から差している光と、正面から差している光で見えが変わると思われる。他に、大きなペンダントが下っていることにより、天井面の見えが悪くなり、また、大きな物体が下っていること自体、邪魔な感じがする。ペンダント自体を小さくすると光源が眩しくなり、影も強くなってしまう。

 では、ダウンライトとして天井面に埋め込んでしまってはどうだろう?
一箇所で部屋全体の照度を取るダウンライトを設置したならば、光源を眩しく感じてしまい、点光源なので影も強く出てしまう。
これを改善する為に光源を増やしていけば其々の照度は減らせるが、多くの光点があることが煩く感じられる。其々の光源からの光の角度を狭めれば見える光源も減らせるが、光が上から下への一方向でしか入らないため、顔や物の下面に影が出ることになってしまう。これは人や物を見る環境としては好ましくない。

 蝋燭による照明を考えると、小さな点光源であるにも関わらず、炎を見ていても眩しいと感じず、また、そこに照明がある事自体に違和感がないため、反則と言える程、雰囲気を損なわない照明と言える。もし同じ光量、同じ色の照明をそこに置いたとしたら、かなり眩しく感じ、茶席では違和感のある存在となるだろう。蝋燭の光が同じ明るさ、色の光源に比べて眩しく見えない要因については更に検討の余地があるように思う。また、その炎の揺らめきも雰囲気を形成するのに役立っているかもしれない。
 ダウンライト照明では壁面が暗かったり、畳面に輝度差が出ると空間自体が暗く感じられるが、蝋燭照明ではそれが感じられない。視界の中で輝度差があり、暗い面が多いほど、空間として暗く感じられるようである。また、手燭や燭台など、その設置する位置は古来から研究されてきたと思うが、人の輪の中に照明があるため、人の顔や茶道具等の見る対照が明るく照らされるため、壁がある程度暗くても注意が向かないことも要因として考えられる。
然し、そんな万能な蝋燭でも、手元の茶道具を見るには暗過ぎること、雰囲気は良いが物を見るには演色が悪い、扱いにくさや火の危険性、費用的に高価であること等の問題もある。

 こうしたことをまとめると、茶席にとって良い照明というと、下記のような条件が挙げられると思う。

   @ 直接光源が見えない。見える場所に置くならば、雰囲気に不自然ではなく、また、眩しくない。
   A 部屋及び物の輝度変化がゆるやかであり、激しい輝度差がない。
   B 人の顔、茶道具等クローズアップしたい場所がより明るい。換言するならば、部屋全体の明るさは重心が視線より下くらいが良い。また、中央を向いて座っている内側の方が、外側よりも明るい方が良い。また、点前や道具を見る際の手元等は明るい方が良い。
   C 壁面や畳面にはできれば正面からではなく、横から舐めるような光が当たる方が望ましい。

 AとBを実現するためには、茶席の中央寄りに光源を置かなければならず、そうすると@の条件をみたせなくなってしまう。この為、ベース照明で部屋全体を輝度差が少なく、また目線より下側くらいに重心が来るように照らし、その上で補助照明で点前や手元を照らすよう、複合して照明を考える必要があると思われる。
 また一方で、茶席の中央に置く照明が最も効果的であることから、蝋燭のように茶席の中にあっても「違和感がなく」見える照明機器を考えるのも一案と思う。
 掛軸の照明については、基本的に軸の本紙の中心に照明が来て輝度差が少ないのが望ましいが、掛花入や置花入にスポットとして照明を当てたりするのも考えられるので、それぞれの状況でいろいろな演出ができると望ましい。また、軸の部分のみにピッタリ合せて照明を当てることができれば面白いかもしれない。

 最後に、照明の色について考えてみると、ポイントは道具の鑑賞の際の演色性になる。作品によって良いコンディションは違ってくると思うが、これについては茶道具が歴史的に自然光で鑑賞されてきたことから、太陽光に近い光で見るのが最も相応しいと思われる。太陽光の中でも、その日のコンディションによって天空光の色、昼の日光の色、夕方の日光の色等、変化が出せると様々な演出に対応できると思う。

 LEDの登場など、照明技術の進歩もめざましい昨今、茶席照明についても新たな演出が可能となることを期待したい。

照明1 輝度差の大きいダウンライト照明

照明1 輝度差を少なくしたダウライト照明

恐惶謹言

平成辛卯年長月初四日(2011.09.04)
 いつの間にかもう9月。暑さもひと段落した感がある。
さてさて、先日、某レストランで「白ワインのグラスを一つ」と注文したところ、冷えたワイングラスを一つ持って来てくれた。ボトルもないのに何を注げと!?
言葉って難しいと改めて思った今日この頃。
恐惶謹言

平成辛卯年文月末六日(2011.07.26)
 7月ももう終わり。うちは7月お盆なので今月お盆をすませました。
禁肉食の日々も終わってビールも美味しい今日この頃です。
小さい頃は、お盆になると会える長野の親戚がいたりしました。
毎回「みすず飴」を持って来てくれるおばさんは「みすず飴のおばさん」と呼ばれていたのを思い出しました。

そこでふと思いついたのですが、親戚の所に毎回カッコいい名前の品物を持って行けば、カッコいい呼び名で呼んでもらえるのではないでしょうか。
「ザッハトルテのおじさん」とか、「ゴルゴンゾーラのおじさん」、「タイガーバームのお兄さん」なんていうのもカッコいいかもしれません。可愛い系だと「ショコラのお姉さん」とか。

子供に変なアダ名で呼ばれて困っている方は、是非試してみて下さい!!
恐惶謹言

平成辛卯年文月初九日(2011.07.09)
 連日のたわごとです。

何気なく「黄金虫は金持ちだ〜」と童謡を口ずさんでいたところ、ふと歌の意味が気になりました。
黄金虫が金持ちで蔵を立てた、というストーリー、どこにオチがあるのだろう?

ネットを駆使して調べてみたところ、歌詞には続きがありました。

 黄金虫   野口雨情

黄金虫は金持ちだ
金蔵建てた蔵建てた
飴屋で水飴買つて来た

黄金虫は金持ちだ
金蔵建てた蔵建てた
子供に水飴 なめさせた

調べてみると、この黄金虫、コガネムシのことではなくゴキブリのことだ、との説もあるようです。
野口雨情の出身地茨城ではゴキブリのことを黄金虫と言い、卵の形がガマグチに似ていること、昔は裕福な家にしかゴキブリが居なかったことから金持ちの発想になったのではないか、との話でした。

また、ゴキブリの名称は、食器をかじることから「呉器かぶり」「呉器かじり」が語源であり、明治以後に図鑑の誤植で「か」が抜けたのがそのまま広まったとのこと。
呉器を日常食器として使っていたってどんな家なんでしょう(^^;;;

いろいろ豆知識は増えましたが、結局水飴まで登場しても、ストーリーのオチが理解できない黄金虫の歌でした。
恐惶謹言

平成辛卯年文月初八日(2011.07.08)
 いつの間にか、七夕も過ぎて7月。今年も暑くなりそうです。

さて、先月、最近よく行くバーで、Y氏より「放射線で死ぬ人より、肥満で死ぬ人の方がよほど多い。肥満の方が怖い。」との話を聞き、私も何か対策を講じなければ、との思いに駆られました。
Y氏は午後9時以後の酒と食べ物を断ったところ効果があったとのこと。その日もバーでは「ブラックローズ」なるものを注文していました。中身を聞くと、黒酢のロックだそうで(笑)

 そこで私も一念発起し、減量に向けての取り組みを始めることとしました。
ただし、酒の量は減らしたくない、運動は疲れるからやりたくない、継続しなければ意味がない、との前提条件を勘案して下記の内容としました。

実施して早1ヵ月、目に見えた効果は見られなかった。

そこで上記は解禁し、前提条件を変えて運動の方向で試みてみることにしました。
継続できるかが最大の難点です。
そんなわけで、ビール復活に完敗・・・ならぬ、乾杯♪
恐惶謹言

平成辛卯年卯月末五日(2011.04.25)
 私が茶道を始めて何年になるだろう。

小さい頃は、本当にお茶の人が祖母の家にいらっしゃるのが楽しくて、お酒も隠れて頂いたりしながら自然にお茶に入っていた。
しばらくブランクが空いて、大学から宗和流を習い始め、その頃から堀先生の影響で道具にも興味を持ち始めた。
茶道の本を読むのも楽しかった。小田栄一先生、林屋晴三先生、熊倉功先生、また遠州流茶道宗家の小堀宗慶宗匠の本も拝読した。講演会も聞きに行った。

大学の茶道部のご縁で、小田栄一氏にはいろいろなところに連れて行って頂き、ご趣味の幅の広さに驚かされた。
また、職場では吉岡庸治先生にも大変優しくして頂いた。

こうした方々と実際にお目にかかれる機会を頂けたのは大変幸せなことだなぁ、と改めて思う。
茶道界に貢献して来られた方々に感謝するとともに、紅心宗慶宗匠のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

合掌。

茶道のひとつ時代が終わって行くのを感じます。
恐惶謹言

平成辛卯年卯月初八日(2011.04.08)
 震災後初の書き込みです。
私の周囲では、燈籠が倒壊したり物が落下して割れた程度で、然程大した被害はありませんでしたが、被害にあわれた方々には心よりお悔やみ申し上げます。
震災後の数週間は、如何に今までの生活が有難いものであったか、また、今の自分に何ができるかと考えさせられることが多い日々でした。
震災当初は、節電協力ということで、2週間ほどは計画停電に入っていない時でも暖房も止めて全ての電気を消して懐中電灯生活を送ったりしてました。
ガソリン、食料品等は普通に流通が再開するまで一切買いませんでしたが、殊に不便することはありませんでした。
保存できる食料品は被災地に行った方が良いだろうな、と思い、自宅で節制というよりは、外食の機会を増やしてました。
夜の街は閑散としており、飲食店は自粛ムードで客も少なくなり、食材はあるのに注文がなく、このまま1ヵ月も続いたら店がつぶれると言っているお店もありました。
過度な自粛は経済活動を損ないます。
また、遠くの人ほど原発被害を警戒しており、関西の方は東京以北を怖がり、海外の方は日本といっただけで怖がっているような状況です。
過度な自粛はこういった風評被害を増大する一因にもなるかと思います。
節電は心がけなければなりませんが、ピーク時以外では逆に、作ってしまった電気は貯蓄できないので使った方が良い、との話も耳にします。
情報源が信頼できない場合はどうしても行動を決めかねてしまいますが、ある程度情報が出ている状況であれば、闇雲に自粛するより、被災地に送れるものは節約し、 それ以外の経済活動は大いに行うべきかと思っています。
そんなわけで、できるだけ茶道等の活動も積極的に行い、安全と言われているものであれば水道水を積極的に使って安全性をアピールできれば良いなぁ、と思ってはいるのですが、 自粛ムードの中でお茶をするというのが他からどう見られるか、また、水道水を気にする方への配慮等、難しいなぁ、と思う今日この頃。
恐惶謹言

平成辛卯年如月初三日(2011.02.03)
 あっという間に正月も終わり。初釜と確定申告に追われた一ヶ月でした。
1月5日はTホテルでの賀詞交歓会で呈茶。1月9日は名古屋にて初釜点心席のお手伝い。1月15日は職場の会員制茶会点心席お手伝い。 1月23日がMS家初釜。1月29日が拙宅にて初めて夢尋蔵を使っての初釜。2月1日のT庄初釜を終えて、まずはひと段落でしょうか。
今年は体制も変わって早めに確定申告あげなくちゃならないので、気合入れて行かなくちゃ!!

 そして先日、久々に行った東中野の銭湯の張り紙。

トイレ

確かに、長期間風呂に入らない人は不衛生かもしれませんが、野良犬のように保健所で処分されてしまうとは、怖い風呂屋ですね((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
お茶ではまだ炉の時期ですが、フロのお話でした(笑)
恐惶謹言

平成辛卯年正月初四日(2011.01.04)
 明けましておめでとうございます!
今年はいろいろと節制をモットーにいきたいと思っております。
昨年も慌ただしく過ぎてしまいましたが、本年もどうぞ宜しくお願いします。

 さて、例年我が家では、元日に深大寺にお参りし、湧水を汲んで来て御茶の点て初めをしています。
今年も例年の如く、タンクを持参で深大寺に行ったところ、湧水のところに「断水」の文字。
湧水が「断水」って!?・・・と思いつつ、神社の他の湧水ポイントに行ったのですが、やはり「断水」とのこと。
ポンプが壊れたとかでしょうか???
仕方がなく、裏を流れている小川の水を汲んで来ることにしました。
水を汲んでいると、通りがかりのおじさんに「ここの水は飲めないよ〜」と言われましたが、まぁ、沸騰させれば大丈夫だろう、 とのことで、家に帰って早速点茶。
深大寺のご加護か、連日のアルコール消毒のおかげか、誰もお腹も壊さずに三箇日を過ごす事が出来ました。
早く湧水復活してほしいものです。
今年が良い年になりますよう!!
恐惶謹言





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